自然農的な子育てついて考えてみた①
種は生まれた時から、すでにこの環境というか、この世界というか、この宇宙での立ち位置を分かっているし、どうそれらと関わって自分の潜在性を発揮するかという一番重要なものはすでに持って生まれてきていると思う。
だから僕らの役目はその潜在性を発揮できるような環境を整えてあげることなんじゃないかと思います。
んでは、この野菜の潜在性を発揮するのに、邪魔してしまう一番の要因はなにか?
僕は今までこの答えは「人間の欲」だと思ってました。
もっと欲しい!もっといっぱい収穫したい!もっと売れるような商品にしたい!ψ(`∇´)ψ
と思って、どんどん肥料やら農薬やら使って手をかけまくると本来持っているはずの生命力が失われてしまうし、自然の流れに逆らうからいろいろと問題が出てきちゃう>_<
確かにそれもあるかもなんですが、でも自分の欲自体を否定してしまうのってなんかつまんないし、無理だし、違うんじゃないかなあって思って。
それで最近思いついたのは、そんな不自然さの根底にあるのは野菜についても人についてもその「社会的価値」を「存在価値」と勘違いしていることなんじゃないかと思うようになってきました。
本来そのものが持っている価値が見えなくなって、いつの間にか「社会的価値」を求めるようになっている。
今の社会の価値観ってざっくりいうと「生産性」「効率性」「機動性」的なところですよね。
例えば野菜で言うと収量があって、回転が速くて、流通させやすい。人なら仕事が出来るとか、あちこち飛び回っているビジネスマンとかかなあ。
それらの点で優れていると価値が高いと評価され、それがそのものの存在価値のように勘違いしてしまう。
別に「社会的価値観」自体が悪いってわけじゃないのでしょうが、それって国や地域、会社、家庭によっても時代によっても変わってくるとても曖昧で一時的なもの。
それが全てだと思っちゃうと、本来もっている潜在性は発揮されず、その出口を失ったエネルギーは病気とか様々な形で問題として出てくるのではなかろーか。
つづく