小さな暮らしの畑屋さん

地球といういのち溢れる星に生まれた喜びを、日々の暮らしの中で感じられるような、小さな畑のある暮らしを提案しています。

人が自然を破壊する力を与えられているのはなぜか。

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こんにちは、そーやんです。

本日、講座に来てくれた友人と話していたことが、

すごく深くて大事なテーマだと思ったので、シェアしたいと思います。


 
それは私たちが行っている「農」や「食」という行為は、

生き物を殺して、

あるいは生態系を破壊して生きているということ。

 

また、人間に都合の良い植物、動物だけを残し、

それ以外の植物、動物は除外しようとしていること。

 

例えば、今日行った講座では、

雑草との共生がテーマだったのですが、

野菜を育てるためには、

どうしても一部雑草を刈らなければいけません。

 

 

そういった意味で食べることや、

畑作りを行うことは、

生き物を殺す。

都合の良い生き物だけを育てる。

というような側面で、

罪悪感というか、複雑な気持ちが起こる

と思うのです。

 

 

今は、食材がすでに死んだ姿で売られているので、

この気持ちは起きにくくなっていると思うのですが、

実際に農という行為を行うと特に、

よりこういう気持ちをあじわう場面が増えると思うのです。

 

 

 

その友人も、

その刈られる雑草がかわいそうという感情を抱くことも

こちらの勝手な感情であって、

その雑草自身はそんなに辛いとか、苦しいとか

実際はないとは思うのだけれど、

そういった勝手に想像しちゃうところも含めて

複雑な気持ちになるということでした。

 

 

ぼくも実際に生き物を殺すことで心が痛むことはありますが、

実際に自然界の生き物たちは、

「個」よりも常に「全体」が豊かになることを優先した行動

をとっているので、私たちのような「我」や「執着」がないように思えるため、

少し我々の考え方・感じ方とは異なっているように思えます。

 

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ぼくが今感じているのは、

その複雑な気持ちをまずはしっかりと受け止め、

感じることが大切だと思います。

 

そして、その先にあるのは、

何を意図して「農」や「食」という行為を行うかという点です。

 

 

私たちは生き物を殺し、

生態系を破壊してしまうほどの「力」があります。

(もちろん破壊するだけの力ではなく、破壊と創造は表裏一体だと思います)

今まで私たちはその力を行使して、

今の社会を築き上げてきました。

しかし、その弊害としてあらゆる環境問題や人の健康問題に繋がっています。

 

ではその「力」は使わずに、

自然を保護していくべきなのか。

ぼくはそれは少し不自然だと感じています。

 

 

私たちにその力が与えられているということは、

そこに「責任」も与えられているとぼくは感じています。

 

それは自然と共により地球を豊かにしていく責任です。

 

それはもちろん簡単なことではなく

あらゆる人の科学・伝統・感性などを総動員する必要があるでしょう。

 

そしてその道のりの入り口として大切なのが、

今、わたしたちが感じているその複雑な気持ちだと思うのです。

それをしっかり受け止め、

乗り越えた先に道がひらけるのではないでしょうか。