小さな暮らしの畑屋さん

地球といういのち溢れる星に生まれた喜びを、日々の暮らしの中で感じられるような、小さな畑のある暮らしを提案しています。

自然農的な子育てについて考えてみた②

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こんにちは、最近アイスがやけに美味しく感じるそーやんです☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
今回は「自然農的な子育てについて考えてみた」の第二弾です。

 

ちなみに前回の記事はこちら

notefarm-kagoshima.hatenablog.com

 

前回の中身としては、ざっくり言いいますと

自然農の野菜の育てかた

①野菜は種のときからすでに、その世界で自分の潜在性を発揮するのに必要な情報をすべて持っている。

②育てる人の役目は、野菜が何を求めているのか(エネルギーの流れ)を察して、その潜在性を最大限発揮できるような環境(自然や宇宙のエネルギーの流れにのれるように)を整えてあげること。

③その潜在性が発揮される方向性を、社会的価値に無理やり当てはめてしまうと、エネルギーの流れが滞り、不自然さが生じる。(ゴミなどの無駄が出たり、外部からエネルギーを補給する必要が出てくる)

という感じだと思います。

 

ここらへんを子育てに当てはめるとすると、

①子供は自分の潜在性を発揮するのに必要な情報はすべて持っている。(社会的なことではなく、この世界のもっと本質的なこと)

②親の役目はその子が何を求めているのか、センスオブワンダーを使ってこの世界の何に興味を持つのか観察して、可能な範囲でやれるような環境を用意してあげる。

③その子に対して社会的価値を求めようとすると、本来の潜在性を発揮するためのエネルギーは行き場を失い、不自然さが生じる。

って感じでしょうか。

 

僕らはおそらく無意識的に子供に対してこの「社会的価値」を求めてしまっていると思うんです。
躾や教育、マナーは社会的価値観に沿ってだいたい行われると思うのですが、それはあくまでも世の中とうまく付き合っていくためのコミュニケーションツールのようなものであって、本来のその子が持っている潜在性をその社会の中でうまく発揮するために使うべきだと思うんです。

だから親としては子供が(特に3歳ごろまで)、そういった社会的価値観に飲み込まれないように守ってあげて、無条件の存在価値を保証してあげることなのかなあと。

 

 

さらにもっと言うと、自分の子供に対して社会的価値を求めているのと同時に、社会的価値のある子供を育てられない親は社会的価値がないということになり、社会的価値のない自分は存在価値がないんだと思ってしまうと、何を犠牲にしてでも社会的価値のある子供を育てようという負の連鎖になるかもしれません。

 

多くの人が自分の存在価値を確立すために、ありとあらゆる形でそのエネルギーを消耗している気がします。

 

どんだけ社会的価値を得たとしても、それはその人の存在価値を保証してくれるものではないので、それに気づかなければそれこそ自滅するまで際限なくそれを追い求めようとするんじゃないでしょうか。

 それが結果的に現在のあまりにも不自然な、ヒトの欲望の膨張に繋がっている気がします。

 

つづく

 

まだ続くのかよっΣ(・□・;)